Boysdon'tcry

ゲイに生まれたからと言って、「ゲイとして」何かを成し遂げなければいけないのか。

 

確かにストレート男性の多くは結婚子作り子育てなどを「ノンケとして」成し遂げている。(結婚に関しては、もしかしたら近いうちに同性婚が可能になって「ノンケとして」成し遂げるものではなくなってしまうのかもしれないけれど。)

 

とかいろいろ考えてたりもしたんだけど、どうもそういうところ僕って頭がカタいというか、もっと柔軟でいいんだろうなって思った。

 

とあるゲイの劇団で楽器を演奏するお手伝いをさせていただく機会を得て、先日その公演最終日を無事終わらせてきたところ。

所謂「ゲイとして」の活動に参加してきたわけだ。

今までゲイだけのバンドも組んだことはないし、こういった舞台のお手伝いというのも初めての経験だった。

正直に言うと、もともと僕は「ゲイのサークル活動」にあまり興味が無い、というか寧ろ嫌いな方だった。ゲイでなければ出来ないことではないならゲイだけで集まる必要性を感じなかったから。

今回お話を頂いた時も最初は一度お断りしたのだけど、強く希望を頂いたこと舞台の裏方という経験したことのないシチュエーションでの演奏への興味もあり最終的には参加を決めた。

 

僕がギター、もう一人が鍵盤の二人組での演奏だったんだけど通し稽古にはスケジュールの都合上一度も参加できず、楽器隊だけの練習しか出来なかった。更に僕の知っている人が一人もいない団体だったためひどく不安だったのだけど。

結果的に言えば萎縮する僕に優しく接してくれる人ばかりでリラックスして臨むことが出来た。

 

終えてみて今思うのは確かにゲイとして知り合って集まって活動しているサークルなのは間違いないんだけど、活動内容自体には別にゲイかゲイじゃないかなんて関係ないんだよね。

 舞台、演劇が好きな「たまたまゲイだった」人が「偶然ゲイとして」出会って集まっているだけで、その中でゲイか否かは特段大事なことではなかった。

 一番「ゲイとして」ということにこだわっていたのは自分なんだな、と恥ずかしくなってしまったよ。

 

昔は周りだけでなく自らに対するホモフォビアも酷く、ゲイデビューも比較的遅ければゲイの友人が出来たのもここ1,2年。でもさすがにもうそういうところは克服していたと思ったんだけど、やだな。簡単には変われないな。

いい加減自分がゲイであることと周りがゲイであることをもっとラフに考えられるようになりたい。